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今日も一抜き

オタクの法科大学院生が、日々の雑感、法律、趣味(音楽・芸術・酒)について書いていきます。

日記を書くことにします

1 序

私は日記を書き始めることにした。

その理由は、自分が過去に何をしたかを忘れてしまうことに寂しさを感じたからだ。

 

2 事の経緯

例えば、1年前の今日、2年前の今日、3年前の今日に、自分が何処で何を見て、何を感じたのか改めて思い返してみても、まったく思い出せない(まめでない私の場合、スケジュール帳なども持っていない)。

何をしたのか思いだせない、ということは、その過去の時間は「あってもなくてもいい時間」あるいは「無駄で無価値な時間」だったということになってしまわないか?

 

この問いに対する私の答えは、NOだ。

つまり、過去に自分が何をしたのか思い出せないからといって、直ちに過去の時間が無駄なものだったといえるわけではない。その根拠は2つある。

 

第一に、自分の過去になしたことが自分の記憶の中にないのだとしても、誰かの記憶の中にはある場合がありうる。そして、自分の過去になしたことが他者に何らかの影響を与え、他者の記憶の中に刻まれ残っているなら、それは「あってもなくてもいい時間」ではないはずである。

むしろ、決定的な理由は以下に述べる第二の点である。すなわち、仮に何年何月何日の何時に自分が何をしたかを特定して思い出せないとしても、あるいは他者の記憶に自分を刻みつけるような影響を及ぼしえなかったとしても、過去に経たすべての時間が今の自分を形作っているはずである。今の自分の人格が形成され、今の人間関係が構築され、今自分がこの場所で生きているのは、これまで経てきたすべての過去に基づくはずである。そして、今の自分の存在を肯認する以上、すべての過去の時間は今の自分にとって「あってもなくてもいい時間」足りえないのである。

 

ただそうはいっても、人の記憶力には限界があるので、何か記録を残さない限り、確かに経たはずのその1日を振り返ることができないことに変わりはない。

また、自分が何を経験し何を感じたか知っているのは基本的には自分だけなのである。自分が忘れてしまったら、自分の体験が世界のどこにも存在しないことになってしまう、事実そうでなくてもそういう錯覚を起こしてしまう。

私は、それが寂しいなと思ったから、日記を書くことにした。

 

3 付言

誰に向けるでもない付言を2点述べる。

 

第一に、このブログにおける私の日記は、単なる私の個人的な行動記録であって、おそらく私以外の誰にも得をもたらすものではない(何らかの理由で、私の行動記録を見ることが有用な方が、ごくごく例外的に存在するかもしれないが・・・)。

こう書くと、個人的な行動記録ならブログとして公開せずとも、日記帳にでも書けばいいではないか、という指摘がどこかから飛んできそうだと思う。

ただ、日記帳にペンを走らせるより、パソコンのタイピングをした方が早いし、だいたいブログなりSNSというものは、自分の投稿が誰かのメリットにならないものだと知っていても、自分について誰かに見てほしい、という、ある意味自己満足的な思いから書くものではないだろうか。

 

第二に、私の場合、日記を継続的につけるのは億劫になってしまい、途中でやめてしまうことが過去に何度かあった。すでに述べたとおり、これは行動記録にすぎないので、基本的に箇条書き方式にとどめようと思う。

 

4 さいごに

大体私の場合、ブログは3日坊主になってしまうことが多いので、どこまで続けられるかわからないが、(日記に関しては)あくまで、自分のために、書いてみようと思う。