法とイラスト

法律の雑記、イラストのアップ、ビールのレビュー等をします。

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んで

 

 

今日はこの本を読んでいました。

書店で、本書のタイトルにある「美意識」という言葉が目にとまり、パラパラ見てみると面白そうだったので購入しました。結果的に、おもしろかったです。どれくらいおもしろかったかというと、私は往々にして本を読むのを途中で放棄する人間なのですが、それでも一気に全部読んでしまうくらいでした。

 

この本のテーマは、経営に携わる人間にも、自分なりの「真・善・美」の感覚に照らして判断する力が求められるということでした。

 

本書はあらゆる具体例から上記を基礎づけるための説明していて、大変多くの示唆がありました。ここで、すべての示唆について触れることはできませんが、最近わたしが本を読んだり人から聞いたりした考えとリンクする部分があったので、それについて書いてみようと思います。 

 

絵はやっぱりいいものだ

まず、お!と思ったのは、アートとサイエンスが個人の中で両立する場合、知的パフォーマンスを高めるという主張です。

では、グローバル企業の幹部候補生は、今日から絵筆を執るべきなのでしょうか?もちろん、その気があるのであれば否定はしません。20世紀の歴史においてもっとも強力なリーダーシップを発揮した二人の政治家、すなわちウィンストン・チャーチルアドルフ・ヒトラーがともに本格的な絵描きであったことは偶然ではありません。

絵を描くことはリーダーに求められる様々な認識能力を高めることがわかっており、実際に自ら芸術的な趣味を実践しているという人ほど、知的パフォーマンスが高いという統計結果もあるのですが、・・・ (p70)

 

ミシガン州立大学の研究チームは、ノーベル賞受賞者、ロイヤルアカデミーの科学者、ナショナルソサエティの科学者、一般科学者、一般人 の5つのグループに対して「絵画や楽器演奏等の芸術的趣味の有無」について調査したところ、ノーベル賞受賞者のグループは、他のグループと比較した場合、際立って、「芸術的趣味を持っている確率が高い」ことが明らかになりました。(p213)

 

筆者は、論理的理性的な思考だけでは現実で直面する不安定・不確定・複雑・曖昧な問題を解くことができないので、美意識に基づく直感的な思考が重要である、しかしアートの重要性はサイエンスに比べて軽視されがちである、そこで経営のトップには美意識を備えたアート人材を据えるべきだし、その美意識を鍛えるためにはアートに触れ合うことが有効であるといいます。

ただし、大企業の幹部候補生がいきなり絵筆を取ることは現実的ではないし、絵を描くこと自体を否定はしないものの、それは美意識を高めるための一つの手法にすぎないと位置づけています。筆者は、経営者に対して、本物のアーティストになれといいたいわけではなく、美意識の重要性を強調し、またその醸成のための方法を紹介しようとしています。

 

一方で私はというと、どちらかというとむしろ、ゆくゆくは本物のアーティストとしても活躍したいと考えているので、その意味においては直接に筆者の主張する人物像にはあてはまらないのかもしれません。

 

そういえば、ベティ・エドワーズのデッサン教本『脳の右側で書け』でも、絵を描くという行為は、認知能力を高めるのに役立ち、すべての人間にとってよい結果をもたらすことで、みなが学ぶべきだ、ということが書かれていたことを思い出しました。

確かに、絵を描くにあたっては、その対象を穴が開くほど観察する必要があります。そして、観察をしているうちに、普段見ているつもりでも見えていなかったものが見えるようになる、言い方を変えれば、認識可能な世界が広がるという感覚が得られます。これが、経営におけるイノベーションにも役立つのかどうかまでは今の私には実感としてわかるはずもないのですが、将来私は弁護士事務所を開業し、経営をしたいと思っているので、絵のもたらすポジティブな可能性を信じながら、絵の趣味を続けていきたいと思います。

 

ハムスターになってはいけない

 

話は飛びますが、この間「アニメ私塾」というアニメ絵指導のyoutube講座を見ていると、アニメーターの室井康雄さんが美意識について言及していて、深く共感しました。

室井さんがおっしゃっていたのは、(正確な引用ではないです、すみません)「いい大学入って、いい企業に入って、大金稼ぐ人間を尊敬できますか?僕は尊敬できない。だって、ものすごく早く車輪を回すハムスターと同じじゃんw 僕は、美学とか思想とか持って生きてる人の方が断然尊敬できます」というような内容でした。

 

そして、同じたとえがこの本の中にも書かれていました。

わかりやすいシステムを一種のゲームとして与えられ、それを上手にこなせばどんどん年収も上がっていくというとき、システムに適応し、言うなればハムスターのようにからからとシステムの歯車を回している自分を、より高い次元から俯瞰的に眺める。そのようなメタ認知の能力を獲得し、自分の「有り様」について、システム内の評価とは別のモノサシで評価するためにも「美意識」が求められる、ということです。(p176)

 

「ハムスター」のたとえは、所与のシステムに組み込まれ、無批判にそれに従う人間のメタファーとして用いられています。

室井さんもおそらく、いい大学いい企業に入って大金を稼ぐ人すべてを否定したいわけではなくて、「社会でそれが良いものとされているから」とか、「社会的常識だから」とかいう理由で、自分の行動決定を外部に委ねてしまうような人の象徴的な例としてあげたのだと思います。

 

こういう生き方は、常識にとらわれたつまらない人生になるだけでなく、自分よりえらい人の命令ならばたとえその命令が誤っていてもそれに従ってしまい、結果大きな罪を犯してしまうおそれがあります。本書では、そのことが、ナチス・ドイツにおいて上からの命令に対して無批判な態度で従った結果、効率的なユダヤ人殺戮構造を考案し、死刑となったアイヒマンの例を挙げて説明されています。

 

私は最近、ある友人に出会って反省することがありました。

その友人は、社会に対して強い憤りを持っていて、何事にも批判的である人間です。彼に「君も批判的であれ」と啓蒙されました。

ソクラテスの「無知の知」という言葉はもちろん以前から知っていましたが、彼と接しているうちに、本当の意味で知っていたとはいえなかったのではないかと思うようになりました。というのも、無知の知を知っている人は無知である状態から脱すべく、社会を疑いの目で見て、新たな知識を自発的に得て、自分でその是非を判断しようとするはずなのに、自分はいわゆる「お勉強」と、好きなことばかりして、社会に対してそこまで批判的に生きてこなかったように思うからです。王陽明の唱えた「知行合一」(=知って行わないことは、未だ知らないことと同じ)が胸に刺さります。

常に批判的な目を持たなければ自由な判断はできない、ということを肝に銘じなければいけないなと思いました。

後出しジャンケンの世界

本書の筆者は、現代はシステムの変化がめまぐるしく起き、法律の整備が社会の変化に追いつかない状態となっていると述べています。

このことは、水野祐先生の著書『法のデザイン 創造性とイノベーションは法によって加速する』の中でも述べられていました。

法のデザイン?創造性とイノベーションは法によって加速する

法のデザイン?創造性とイノベーションは法によって加速する

 

水野先生の主張は、企業は、法の整備の追いついていないグレーゾーン領域をただ避けるだけでなく、むしろ積極的にグレーゾーンへ足を踏み入れるべき場合もあり、国家のルール創造を待たず民間の側から自発的にルールを創造することができるのではないか、というものだったように思います。

それに対して本書の示唆としては、グレーゾーンが多い時代において達成動機の強すぎるエリートが判断を誤らないために美意識を持つことこそが重要であり、時に大きく踏み外す危険があることを理解することが重要であるということです。

 

両者の主張は矛盾するものではないですし、水野先生がコンプライアンスという英語の原義に遡って説明されていた企業のあるべき姿は、まさに本書の主張と重なる部分があるように思われます。

 

企業も、個人も美意識を持ってこそ変化の激しい社会で輝くことができると肝に銘じて、方向を見失わずにがんばって生きたいなと思います。